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読者体験手記
Uターンで降って湧いた介護役
夫と義母へ募る嫌悪の日々
「早期退職制度に応募し、地元に帰って両親と暮らすぞ」――
"孝行息子"の名をほしいままに、地元での充実した生活を送る夫。
かたや知人もいない地での介護地獄を送る妻の心に潜む思いとは・・・・・・。
野口 良子 さん (栃木県・51歳・仮名)
寝たきりの義父と
認知症の義母


  2年前、故郷で暮らしていた義父が糖尿病を悪化させ、左脚を大腿部から切断。退院後は介護保険を利用しながら、義母が自宅で介護を続けていました。 そんな矢先、義母が入院。ケアマネジャーから緊急連絡が入り、その夜、夫は実家へ向かいました。

  そして、その2週間後のことでした。会社から帰宅した夫が「会社の早期退職制度に応募したよ。地元に帰って両親と暮らすことにしたから」と一方的な通告。「晴天の霹靂」とはまさにこのこと。

  あまりに急で、あまりに理不尽な夫の態度に離婚を考えたものの、せめて娘たちの結婚が決まるまではと何とか思いとどまりました。 2人の娘はアパートを借りて東京に残ることになりました。

  そして、夫の地元に行くと、さらに衝撃の事実が待ち受けていたのです。 同居前に「うつ」と聞かされていた義母が、実は認知症だったのです。 ケアマネジャーからそのことを聞かされた時、義母が認知症だったという事実よりも、夫が私に嘘をついていたということのほうがショックでした。 夫を問い詰めると、「本当のことを言ったら、お前はついて来たか?」と開き直るだけ。 要介護5の義父と要介護2の義母を介護する日々が始まりました。

義母に殴られ、怒鳴られる
「ドロボウ猫め!」


  同居して間もないころ、父のおむつ交換をしている時、義母にいきなり背中からガツンと殴られたのです。 「?」。一瞬、何が起こったのかわかりませんでした。 でも、振り返ると、そこには、ゲンコツを握り締め、仁王立ちになった義母が私に向かって「この、ドロボウ猫め!」と大声でわめき散らしているのです。聞くに耐えない暴言がとめどなく続きました。

  動転した私は夫を呼びました。ところが、息子を見ると義母は態度を一変させ、「寝ぼけていた」などと言い訳ばかり。その時、私を見る眼差しが敵意に満ちていたことに夫が気づかなかったはずはありません。

  「こんな家、もうイヤ!」。

  家から飛び出したくなりましたが、自動車以外に移動手段のない山の中、運転免許も持っていない私は、情けないことに1人ではどこへも行けないのです。 これが現実か・・・・・・。東京を離れ、知り合いもいないこの地に来て、体重は激減。笑うことも忘れた日々。 娘たちからの言葉、「お母さん、本当にえらいね」を支えに何とか頑張るしか、私には道がないのだろうか。

グループホーム入居を拒む夫は
表向き"孝行息子"


  介護に明け暮れる毎日。義母は私の顔を見るたびに「お前は誰だ」と言い続け、お金がなくなったと騒いでは、「犯人はお前だ」とののしり、あることないことを近所に触れまわります。 暴言だけではなく、排泄の失敗もひどくなってきたので、ケアマネジャーがグループホームへの入居を勧めてくれました。しかし、夫は頑として首を縦に振りません。

  なぜなら、夫は地元では、"両親を介護している孝行息子"として通っているのですから。 地元に戻り、同級生が経営する会社に再就職した夫は、週末は公民館で介護体験談を語るなどボランティア活動に参加し、充実した毎日を過ごしています。 一方、"一流企業のエリート社員"という夫の肩書きだけが生きる支えだった私には、情けないことに何も残されていません。 老後は娘夫婦と同居して孫と楽しく暮らそうと密かに立てていたプランもめちゃくちゃ。 この男のごう慢な独断から私の人生が崩壊したのかと考えると、絶対に許す気にはなれません。

意を決し、東京へ帰ると通告

  そんなある日、急に胸が締め付けられるように苦しくなって冷や汗があふれ出て、今までに経験したことがない状態に。助けを求める人さえいない地で、不安にかられ、東京の娘に必死に電話をすると、救急車を呼んでくれました。

  このままでは私がだめになる。 そう思った私は、夫に「(義母の)グループホーム入居を拒むのなら、私は東京に戻り、娘たちと暮らす」と決意を伝えると、夫はあわててケアマネジャーに連絡しました。 しかし、ケアマネジャーが提案してくれたホームはすでに満員になっていました。 ほかに適当なホームも見つかりませんでした。 救急車の件もあり、夫の態度が少し変わってきたとはいえ、相変わらず介護にはまったくかかわろうとはしません。

  でも、そんななかだからこそ、はっきり見えてきたことがありました。 それは義母に対する嫌悪感と同じくらい、いえ、それ以上に夫を「嫌いだ」ということ。 夫との26年間の結婚生活は何だったのでしょう。今にしてわかったのが、「早期退職制度」は夫の見栄で、本当は"肩叩き"にあい、親の介護を口実に故郷に帰る選択をしただけのこと。 しかし、何も知らされていない私は早期退職に対し、文句を言う余地はありませんでした。 同居介護を受け入れ、東京を離れて夫の地元についてきた私の人生は何だったのか・・・・・・。自問自答する毎日です。

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「読者体験手記」は、『かいごの学校』(現在、休刊中)より掲載したものです。