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読者体験手記
看護師も医師もいない夜勤が怖い
これが介護現場の実態だ!
特別養護老人ホームに勤めて15年。
職場ではベテランと頼られる今も、夜勤だけは慣れることはできない。
看護師の夜勤業務が義務付けられていない特養では、夜間帯に利用者が急変すれば介護職だけで対応せざるを得ない。
責任の重さにつぶされそうになりながら、今日も心細い夜を過ごしている・・・・・・。
宮本 聡子 さん  (大阪府 35歳 介護職)
介護保険のスタートで
人気だった介護職が3Kに


  高校卒業後、両親のすすめで福祉の専門学校に進学しました。 当時は介護職といえば人気の高い職業で、毎年、1万円昇給するなど他の職種と比べても待遇が良かったので、周囲には、介護の道を選択した友人もたくさんいました。 私は専門学校を卒業後、現在の特別養護老人ホームに勤めましたが、職場には活気があり、20代の新米介護職から40~50代のベテランまで、幅広い年齢層の職員が一緒に働いていました。 新米の介護職にとってベテランから学ぶことは多く、介護の技術面のみならず利用者さんと接するうえでの心構えや姿勢など、その時代に先輩から教わったことが現在でも役に立っています。

  そんな職場環境が一変したのが、2000年の介護保険の導入です。 それまで施設の運営は都道府県や市町村からの助成金で成り立っていましたが、以降は介護保険で賄われるようになり、介護施設の収入は激減し、それが介護職の待遇に直接跳ね返ってくるようになりました。 「きつい」「汚い」「給料が安い」と、"3K"職のレッテルが貼られるようになったのです。

「昇給もキャリアアップも
望めない」と人材が去っていく


  私たちの職場でも、家計の支え手である男性を筆頭に退職者が続出しました。 初任給はほかの業種とそれほど変わりませんが、8年前から職員の昇給がピタリと止まってしまいました。 給与問題は深刻で、結婚を機にほかの職種に転職する人も多く、人材不足は危機的な問題になっています。

  また、忙し過ぎてキャリアアップも望めません。 その上、24時間の交代勤務で自分の時間が思うように持てませんから、モチベーションも下がり、勤続3年以内で辞めていく職員が後を絶ちません。 私たちのホームでも、介護保険開始以来の数年間で職員の大半が去り、今では勤続15年目の私が一番の古株になっているのです。

  職員の勤続年数のバランスがよいほど、職場環境がよく、入居者にとってもよい施設だという話を耳にします。 介護保険開始までは、私たちのホームにもさまざまな技能をもった幅広い年代の職員が集い、先輩のノウハウが下の世代へと受け継がれていました。

  しかし、今や介護職は敬遠される職種になってしまいました。 昔は介護福祉士や社会福祉士など資格保持者が多かったのですが、現在の介護の担い手は無資格者が大半です。 専門学校で介護のことを学ぼうとする志の強い人ほど、理想と現実のギャップに悩み、介護職から遠ざかってしまう傾向にあるようです。これには胸が痛みます。

人の命を預かっているという
重圧をずしりと感じる夜勤


  男性の退職理由として、収入の低さが圧倒的に多いのですが、女性の場合は夜勤が続けられないというケースが増えています。 介護職であれば、結婚していようが、子どもがいようが関係なく夜勤が回ってきます。 120人の入居者に対して5人で夜勤をしますが、特別養護老人ホームでは、夜間に看護師の配置が義務付けられていないため、容態が急変する人がいても介護職が対応せねばなりません。 人の命を預かっているのだと実感するのが夜勤です。

  そのため、私もいまだに夜勤だけは慣れることができないのです。 正直に言うと、精神的に最も苦痛です。 夜間の入居者のおむつ交換は、慣れてしまえばどうということはありません。 しかし、入居者の容態が急変すれば、限られた人数でとっさの判断を下さねばなりません。 入居者全員が転倒も事故もなく朝を迎えてくれることをただ願うばかりなのです。

看護師さえいてくれれば・・・・・・
心細い思いで過ごす夜


  今から6年前のこと。深夜に同僚から「入居者の意識がない」と、切羽つまった声で連絡が入りました。 急いでフロアに駆けつけると、そこにはベッドでぐったりとしている80代男性と、男性に馬乗りになって心臓マッサージをする同僚の姿がありました。

  居室をのぞいた時には既に意識がなくなっていたようです。 老衰の場合は看護師から事前に連絡がありますから、これは事故の可能性が高いと判断し、救急車が来るまでの間、私たちにできることはないのかと考えを巡らせていました。

  すると、男性の居室のゴミ箱に飴の包み紙が捨てられているのを見つけました。 これは誤飲の可能性が高いと判断し、急きょ吸引器で応急処置をしました。 しかし、救急車が到着するまでの間に男性の体はみるみる冷たくなっていったのです。

  「もうだめだ」。その場にいた全員が男性の死を覚悟しました。 しかし、救急車が到着するまで応急処置を続けることが、後々のトラブルを避けるうえで必要になります。 絶望感に打ちひしがれながらも、その場にいた全員が交代で、ひたすら男性の心臓マッサージを繰り返しました。

  その日は警察の現場検証も入り、家に帰れたのは正午を過ぎていました。 夜勤の疲れと、男性を救うことができなかった虚無感が全身を覆いつくし、なぜ自分たちばかりがこんな思いをしなければならないのだろうと、涙が頬をつたいました。 しかし、もっと気の毒だったのはフロア担当者の同僚です。 男性が亡くなった日、たまたまそのフロアを担当したことで、上司から責任を問われ、すっかり自信を失っていました。 「看護師さえいてくれたら・・・・・・」。同僚の言葉は私たち介護職の切実な願いなのです。

  一晩で、私たち介護職は3度のおむつ交換をします。午前4時30分。 3度目のおむつ交換が終わって、夜がしらじらと明けだしたら、「今日も何もなくてよかった」 「どうかこの先も・・・・・・」と、無事に夜が明けるのをただただ祈るのみなのです。

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「読者体験手記」は、『かいごの学校』(現在、休刊中)より掲載したものです。